今日の気づき

身体と心の気づき

令和2年1月19日
「武術稽古は自省を促すものである」
深夜に記事を書いていてそうした考えが頭に浮ぶ

令和2年1月16日

「曖昧な加減を探る」
新宿スポーツセンターでの一人稽古時に感じたこと。
実感だけに判断を求めてしまってはならない。実感のない曖昧な部分を探り、その加減の中で発見できるものがあると思われる。今はそこに新たな眼を向け、現時点を超えて行きたい。
【抜刀術】
「天神抜き」では、鞘を出さずに構えられるようになった。
転換と落下が身体に入る。
「津波返し」では、以前は合致しなかったが前足の指を抜いて使えるようになった。
抜刀では、右手首の角度も初動の伝達には重要である。心理的居着きより優先出来るものとなった。

令和2年1月15日
「意味のある一冊」
昨日4.5㎞をゆっくり走りながら、本には読むべくして読むものがあるのだと、それが今までのこと、これからのことを整理させてくれるものであると気がついた。人との出会いがあるように、本との出会いにも不思議なタイミングがある。

令和2年1月12日
7㎞走った後、部屋で袈裟斬りを始めた際、背中の使い方に新たな実感を覚える。
これは、先日木曜日におこなった袈裟斬りの余韻があったのか、まだ私の中に諦めていない部分があったのかもしれない。しなりを諦め開閉となったのであるが、肩の痛みが幸いしこれに気付かせてくれたものであり、まだこれが採用となるのかどうかは、相手を付けて稽古をおこなってみなければわからない。こうしたことは日が経ってみて不採用となることもしばしば起こりうるので。

令和2年1月9日
「利害関係とは、利害が一致するだけではなく、利もあれば害もある関係性である」
状況とともに利害は逆転し、足枷となる場合もある。安易な利害関係は持たぬこと。

令和2年1月6日
「淡々と続けられる中で機能していくものとその見極め力」
淡々と続けられることの力は今までにも感じていたが、あらためて動きを変えてみたときに、これまで淡々とおこなっていたものの機能性に気がつく。だが、何を淡々とおこなうかを誤るとそれは寧ろ弊害となる。今夜の稽古で試したいと7㎞走りながらそういうことを考えた。


令和2年1月4日

「意識と身体の近づき」
身体が育たなければ意識も育たず、意識が育たなければ身体も育たない。意識と身体が近づくこと、それが無意識を育てるということなのかもしれない。1/3稽古帰りの深夜に思う。

令和2年1月3日
深夜に記事を書いていて、「対にあるものに時間をかけられるか」という事に気づかされる。その対とはさまざまな層で覆われており、多くの層の中から最も必要なものをみつけられる身体観がその人の無意識レベルの高さを示しているのであろう。

令和2年1月1日

日々身体と心に気が付いたことを記録する場としたい。
新たな年が幕を開け世の中も同時に切り替わる。このお正月の間に冷静な何かを確立させたい。

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